本記事は「【Road to FUKUOKA】三好真司さん①」の続きです。
第二部では、その活躍の影で苦労した学生時代について、振り返って戴きました。
高校で長距離走を始める
――学生のころから、陸上部だったんですか?
三好:一応、陸上部で長距離走を始めたのは高校からですが、陸上競技そのものは小6からです。
――始めた当時は、主に何をやっていたんですか?
三好:小学生の頃は、地元の陸上教室だったので、特に種目は限定せず、短距離や跳躍など、色々やっていましたよ。中学では、走幅跳に熱中していました。
――高校から長距離を始めたんですか?
三好:そうです。種目は特に決めていなかったのですが、見学に行った時、部の先輩に「長距離には駅伝があるよ」と誘われて、駅伝に出たいと思って、長距離走を始めることにしました。
――高校時代のベスト記録はどのぐらいですか?
三好:確かベストは5000mで16分16秒だったと思います。
――その後、大学は箱根駅伝などで有名な某大学に進んだと伺いました。
三好:はい、一応・・そうです。
――進学の決め手は、やっぱり「箱根駅伝」ですか?
三好:そうですね・・栄養学の勉強をしたいという目的でしたが、箱根駅伝に対する憧れは、もちろんありました。スポーツ推薦など受けられるレベルではなかったので、一般入学でしたが・・・
――やっぱり箱根駅伝って、高校生ランナーの憧れですよね。そして、陸上部に入部・・ですか?
三好:えーっと、、公式な陸上部(長距離ブロック)には半年だけ仮入部していました。
――半年だけ・・仮入部!?えーっと・・説明をお願いします(笑)
三好:はい^^;
まず、大学に入ったころは、浪人時代から引きずっていた腸脛靭帯炎が治っていなかったので、入部を断念しました。
でも、やっぱり陸上部で走りたくて、1年の夏まえ頃に、陸上部の監督に相談をして、入部を検討してくれることになったんです。
入部条件は「ペース走」
――入部を検討?何か、条件があったんですか?
三好:条件というか、「このぐらいのレベルで走れないと、練習に付いて来られないよ。」というレベルを教えてもらいました。それが、『16000mのペース走を3分40秒/kでこなせるようになること』でした。
――なるほど、そのくらいのメニューをこなせるようになったら、陸上部に入部して良い、と。
三好:そんな感じですね。それをクリアしたら「仮入部」という形で混ぜて戴けることになったので、1年の夏はそこにすべてを捧げました。
夏休みが終わる前に、その条件をクリアして、秋から陸上部の練習に加えていただけることになりました。
――どんな練習メニューで、”仮入部ライン”をクリアしたのですか?
三好:とにかく走り込みでしたね。1年の8月は、月間1000kmを超えていました。
――1000km!?すごい・・・一人で、ですか??
三好:いえ・・一人では大変なので、出身高校の練習に毎日、参加させてもらっていました。
それから、地元・相模原市で活動する「SPレーベル」というチームに入っていて、そのメンバーの皆さんと一緒に走らせてもらっていました。
――高校の練習と、クラブチームの練習を、ダブルでこなしていたわけですね!
三好:そうですね、当時は『高校の練習+SPレーベルor個人練習』という感じで走ってました。
――そんな努力の甲斐あって、”仮入部ライン”を達成するわけですね。
三好:はい、確か9月初旬ごろだったと思います。地元の上柚木競技場で、実際に16000mペース走をやり、3分40以内で走ることができました。走り込み的な練習ばかりでしたが、5000mでも自己ベスト(16分16秒)ぐらいで走れるようになっていました。
――実際に仮入部してみて、どうでしたか?
三好:実は・・・9月に仮入部して、その年の11月には、故障して走れなくなってしまいました。泣
――そうでしたか・・やっぱり、練習は厳しかったですか?
三好:人生で一番濃い2か月でした(笑)
元々、仮入部ラインは「3分40秒ペース」だったんですが、いざ入ってみたら、一番遅いチームでも「3分30秒ペース」だったりして(おそらく、夏合宿で底上げされたのでしょう)、仮入部後しばらくは、故障上がりの選手たちと、一緒に走っていました。
走り込みが進むにつれて、少しずつですが、遅いチームには付いていけるようになりました。
――おぉ!大学陸上部の練習に、付いていけるって、すごいですね!
三好:いやぁ・・付いていけたのは、ペース走みたいな練習だけでしたね・・・。インターバルなど、しっかりスピードを出して走る練習では、ほとんど付いていけませんでした。
――なるほど・・それでもすごいと思ってしまいますが・・。何か、レースとかには出たんですか?
三好:いいえ・・それが、結局レースは1本も走れませんでした・・。一度、東海大学の記録会にエントリーしたのですが、それも走れず。
――やっぱり・・・故障ですか?
三好:はい・・。みんなのペースに付いていくのに必死でしたが、身体が耐えられなくなってしまったみたいです。
――そして・・・退部に至るわけですね・・。
三好:はい、2年生になる直前の3月に。退部というか「仮入部終了」という感じですね・・。
やっぱり、トップスピードに付いていけない選手が、そのまま故障ですから・・認められなかったのも、仕方ないと思いますね。
――それは、辛い経験をしましたね。。
三好:そうですね・・なんというか、自分の力不足とか、部に認められなかった悔しさで、けっこう落ち込みました。。
――そうでしたか・・
三好:はい・・SPレーベルのみんながすごく励ましてくれて、やっと前を向けるようになったのが・・SAIKOロードレースあたりなので、6月ごろだったと思います。
市民ランナーとして再出発&5000mで15分台突入。
――そういえば、以前5000mの学生時代のベストは15分台だと、聞いたことがありますが・・
三好:そうなんです。実は、陸上部を退部した後の、2年生の10月に、自己新(15分49秒)が出ました。
――すごいですね!陸上部を辞めて自己新ですか。
三好:うーん、実際その記録に関しては、陸上部の練習のおかげかもしれません。人生で最も濃い2か月で磨いたスピード感覚が、だんだん薄れゆく中で、ギリギリ出せた記録だったと、思っています。
――やっぱり、例の「SPレーベル」に戻ったんですか?
三好:そうです!みんなで駅伝を走ったり、合宿に行ったりと、とても楽しかったですよ。本当は、陸上部に再挑戦したい気持ちもありましたが、結局そこまで自分を高める事ができませんでした。
――メンバーの皆さんに囲まれながら、市民ランナーとしてのトレーニング、調整の方法を見つけていったという感じですね。
三好:そうですね。皆さん仕事をしながら走っているメンバーでしたので、色々と教えてもらいました。
初マラソンは大学生の時
――そういえば第一部のマラソン歴で、初マラソンが第2回(2008年)の東京マラソンでしたが、学生の頃ですよね?
三好:はい、大学3年の時ですね。本当は4年時の卒業記念にでも、と思っていましたが、前年の第1回大会を見て、面白そうだなぁと思って、一年早くエントリーしてみました。
――そしたら、当たっちゃったわけですね。笑
三好:まぁ、当時は今ほど高倍率でもなかったですし・・^^;
――それでも、2008年大会は5.2倍ですよ(→過去の倍率一覧)。
三好:おぉ、そうでしたか、意外とラッキーだったんですね!笑
――日本屈指の高倍率レースで、未だに走ったことの無い人もいるのに、ラッキーですね。
三好:僕も、その1回きりで、以後は一度も当たってません。泣
――最近は10倍前後で推移してますから、やっぱり10年に1回ということですかね。笑
三好:じゃぁ、あと3年ぐらい待つんですかね。笑
初マラソンの記録は3時間43分
――2008年のタイムは・・3時間43分とのことで。
三好:あんまり大声で言わないでください(笑)
――いやいや、初マラソンでサブフォー、すごいじゃないですか。
三好:なんか、棒読みですね。泣
――ソ、ソンナコトないよ
三好:あぁ・・ありがとうございます(棒)
――正直なところ、どのぐらいを狙っていたんですか?
三好:一応、サブスリーできたらいいな、と思っていました。ハーフは予定通り、90分だったんですが、銀座(22k)で脚にきてしまい、浅草(28k)では、歩きそうになってしまいました。
――でも、歩かなかったんですね。
三好:はい、歩いたらもう終わりだと思ってたので^^;
その後、二度目の銀座(34k)で息を吹き返して、何とかゴールにたどり着きました。
――噂によると「猫ひろし」に先着したんだとか。笑
三好:はい、5分だけ勝ちました(笑)まぁ・・当時は、普通の芸能人ランナーでしたから。
――そうですよね(笑)ちなみに、元々予定していた、4年生でのマラソンは、走らなかったんですか?
三好:はい、学生時代のレースはその東京マラソンが最後ですね。4年生の東京マラソンは外れてしまいましたし、それ以前に、卒業論文や就職活動に入って、あまり練習もできていなかったので・・。
――そうでしたか。。就職した後も、走らなかったんですか?
三好:そうですね・・就職した後も、しばらくは仕事に慣れず、あまりしっかりと走ってはいませんでした。走り始めるのは、2012年春に、現在所属する「橋本走友会」に入会したことがきっかけでした。
国際ランナーに憧れて、本格的なトレーニングを再開
――三好さんが初めて橋本走友会の「水曜練習会」に参加した時のこと、覚えてますよ。
三好:懐かしいですね。まだ僕が「鉄砲玉」だった頃ですよね。笑
※「鉄砲玉」については第一部を参照。
※橋本走友会では、毎週水曜日に「上柚木競技場」でナイター練習会を開催しています。フルマラソンでサブスリー、福岡国際、びわ湖等を目指す地元の市民ランナーが多数、練習をしています。
――当時から、国際マラソンを目指していたのですか?
三好:いいえ、あの当時、まずは「体力を戻したい」と思ってスピード練習に参加していました。同じ練習をする中に、福岡国際マラソンを何度も走っているランナーが居て、一緒に練習するうちに、「自分もいつかは出てみたい!」と思うようになりました。
――三好さんよりも、先に国際ランナーだった人が居るんですね。
三好:はい、その方は、フルマラソン2時間38分台というだけでなく、野辺山100kmで準優勝するなど、すごい実績の持ち主です。
――野辺山で準優勝!?そっ、それはカナリの強者ですね!
三好:はい・・強者・・でした。
――・・でした?
三好:知ってるじゃないですか。笑
――うん(笑)まぁ・・早く復活してほしいですね。汗
三好:そうですね・・読んでいる人に分からない話題はこの辺にしておきましょうか。笑
三好:確か、当時は3人ほど、福岡国際マラソンに参加している先輩がいました。練習で皆さんと一緒に走ることで、自分も少しずつ体力を戻し、速く走れるようになりました。
――今となっては、主力どころかエースですもんね。
三好:まぁ・・何と言ったら良いか(笑)。でも、上位のメンバーが強くなって、成績が良くなって、その結果、もっと強い選手が入会してくれる、という良いサイクルが出来ているので、すごく良い刺激になっています。
――その中でも、エースの座を渡さない三好さんの走りは、素晴らしいですね。
三好:いやいや、みんな強すぎて、いつも抜かれるんじゃないかと、ドキドキしてますよ(笑)
第二部まとめ
「陸上部出身」という言葉のイメージとは少し異なり、学生時代の三好さんは、早い段階から「市民ランナーとして」マラソンに取り組んでいたようですね。
大学を卒業して数年、2012年頃から本格的に走り始めたという三好さん。ペース配分に苦労した時期を乗り越えてからは、さらなる記録向上のために、様々な視点からフォームの改良に取り組んでいるんだとか。
最終第三部では、三好さんの「フォーム改善へのこだわり」と、初めての参加となる福岡国際マラソンへの意気込みを、語って戴きたいと思います。