大学時代に大きな故障を経験し、その”大きな故障”はその後も、長く尾を引くことになった山地氏。故障の日々と、復帰のきっかけを聞いてみました。
長引いた腸脛靭帯炎
――大学時代、故障でほとんどマトモに走れなかったというお話ですが、具体的にはどのような状態だったのですか?
山地:大学2年ぐらいから、両足の腸脛靭帯炎になってな。結局痛いまま大学卒業して、社会人になって3年目くらいで、ようやく治ったんよ。
――関西インカレの時は、大丈夫だったのですか?
山地:今思えば、その頃から、少し痛み始めてたような気がする。
――なぜそんなに長引いてしまったのですか?
山地:当時は、鍼治療とかそんなん、知識も情報もなくてな。知り合いに聞いても、紹介されるんは整形外科か接骨院へ。せやけど結局、電気かけたり、マッサージしたりくらいしか、できんくて。今思えば、そこで良い治療に出会えてたらなぁと思うよ。
故障は癒えぬまま大学を卒業
――関西の大学を卒業して、なぜ東京に来たのですか?
山地:それな・・・配属なんよ。
――へぇ、そうだったんですね。希望したんですか?
山地:まさか!希望なんかせぇへんw まさか自分が東京来るなんて、思ってなかったわ。泣
――大丈夫だったんですか?その・・・彼女とか。
山地:当時からおらんわ(ToT)泣
――すみませんでした(笑)
あるトライアスリートとの出会いが、長い故障に終止符を打つ。
――ところで、社会人3年目ごろに故障が治ったとのことですが、治るきっかけは何だったんですか?
山地:東京出てきて、通ってたスポーツジムがあるんやけど、そこで出会ったトライアスリートの野口さんという方に、整形外科を紹介してもらったんよ。
――整形外科・・と言っても、大阪でも通っていたんですよね?
山地:それがな、そこの整形外科にインソール専門の人がいてな。ちょうど、僕の症状を見て、良いインソールを作ってくれて。そしたらちょっとずつやけど、痛みが消えてって・・・それ以来、その医者(現在は独立)には今でもお世話になってるんよ。
――膝の痛みを治したのが、足元のインソールとは、面白いですね。
山地:せやなぁ。でもそん時言われたのは、足元がしっかりしてないと、膝がグラついたりするんやと。腸脛靭帯の痛みって、結局その「膝の横揺れ」とかが原因になってるらしくてな。
――確かに、その辺りは普通の治療院では治せませんよね。
山地:ホント、いい出会いさせてもらったと思う。
――よく、学生時代にスポーツで故障したまま卒業すると、そのまま競技を辞めてしまう選手も多いと聞くのですが、山地さんは卒業したら走るのを辞めようとか、思わなかったんですか?
山地:う~ん・・その時はそういう発想無かったな。
――あら、そうですか・・でも、働きながら、痛みを抱えてまで、走るっていうことは、それだけのモチベーションがあったのでは?
山地:う~~ん・・もう、僕にとって走ることって、普通のことやったしな・・。
――(ヤマジ、これ、インタビューやから、なんかエエこと言ってや。)
(ヤマジ:せやな・・どうしよう・・笑)
――(ゴホッ!)働きながら、痛みを抱えてまで、走るっていうことは、それだけのモチベーションがあったのでは?
山地:やっぱり、学生時代に満足できんかったから、自分が納得いくまで、とことんやってみたかったんやろうな。学生時代とは違って、今は自分のやりたいようにやれる。自分の限界はそんなもんやと思ってないし。
自分の可能性を見てみたいねん。これまで兄貴には一度も勝てんかったけど、一度は勝ちたいっていうのも、大きなモチベーションやと思う。
(ヤマジ:こ・・これでエエか!?)
――(バッチリよ☆)
山地:せやけど、実際には「親父がお手本」なんよ。市民ランナーとして、何歳になっても楽しく走り続けてる。そういう生き方したいと思うし、それは兄貴も同じちゃうかな。
――親子3人、ランナーの血が流れてますね。
山地:まぁ・・・かっこよく言えばな。笑
社会人3年目(24歳)の秋、初フルに挑戦
――山地さんと言えば、ウルトラマラソンのイメージが強いのですが、始めてウルトラマラソンに参加されたのはいつごろですか?
山地:実はその、故障が治った社会人3年目の秋に「つくばマラソン」でフルを走って、翌年6月のサロマ湖で100kmに出たんよ。
――それは、随分と急展開ですね。
山地:今思えば、ちょっと無謀やったような気もするけど、当時は何も気にせんと、申し込んでたなぁ。
――サロマ湖への挑戦は、元々決めていたんですか?
山地:もともと、親父がほぼ毎年走っててな。自分もいつか走りたいっていうのは思ってたし、ちょうどフルを走り終えてすぐぐらいに申し込みがあって、走ってみようかと。
――まず、「つくばマラソン」の結果はどうでしたか?
山地:4時間59分(笑)ギリギリ5時間切ったけど、もうホンマにしんどかった。後半膝のお皿が痛くなってもうて・・・筋力不足を感じたわ。
――あまり練習してなかったんですか?
山地:走り終わった後、全然足りてへんと思った。走行距離とか数えてなかったけど、たぶん月100km行ってないと思う。
つくばの初フルを経て、初100kmへ。
――そこからサロマに向けての練習は。
山地:さすがにこれではヤバいと思って、走る距離だけは増やしていったよ。直前の走行距離は月200kmくらいやったと思う。
――内容はどんな感じですか?
山地:たしか、ジョギングくらいのペースでしか走ってへんな。レースペースって言っても、普段のジョギングと変わらんし・・・。
――結果はどうでしたか?
山地:なんとか完走したよ。11時間38分かかったけど。
――歩いたりしませんでしたか?
山地:ん?めっちゃ歩いたよ(笑)。だってな、42.195km地点の通過、3時間23分やったしww
――フルのベスト、めっちゃ更新してますやん。
山地:そうそう、無謀にもキロ5で攻めてってな・・今思えばホンマにアホやった。そんなペース、絶対無理やんね。
――そのサロマ湖には、ご家族で参加してたと聞きましたが。
山地:そうそう、兄貴が年代別1位、親父も確か年代別で入賞してたかな。僕だけ撃沈。
――走り終わって、もう次はいいや、とか思いませんでしたか?
山地:走ってる最中から思ってたわww
――でも、結局翌年エントリーしましたね。
山地:やっぱ、時間が経つと悔しいんやよね。なんていうか、もっと準備しっかりやっとけば、とか、当日のペースもっと安全に行かな、とか・・。兄貴と親父は、ちゃんと落ち着いてやってたのに、自分だけこんな結果なってもうて。
翌2006年のサロマ湖100km(26歳)
――翌年のサロマ湖はどうでしたか?
山地:結局、翌年は完走もできず・・・50Kmくらいで、棄権したわ。
――棄権してしまったんですか・・・どうしちゃったんですか?
山地:その年、直前の走り込みで初めて、月300kmに乗ったんよ。内容はあまり変わってないけど、練習からスタミナ付いてる手ごたえはあったんやけど・・
――難しいですね・・・。
山地:今になって思えば、たぶん練習の疲れが抜けてなかったんやと思う。沢山走り込みする期間を作ったら、そのあとは一回落とさんと、ウルトラはキツイと思うわ。
――リタイアした時、何を思いましたか?
山地:まずな、関係ないかもしれんけど、リタイアってめっちゃ面倒くさいねん。バスもなかなか来んし、バス乗っても結局全コース回るし、ゴール着くまでに3時間ぐらいかかってな・・・どんなにしんどくても、自力でゴールせなアカンって、学んだな。
――やっぱり、終わった直後は「もう出たくない」って思いましたか?
山地:いや、そん時は不思議と、気持ちはすぐに次の年に向かってたな。なんとなく、やり方みたいなのが見えてきた気がしてな。
2007年のサロマ湖100Km(27歳)
――この2007年のサロマ湖で、山地さんはついに、サブ10(100kmで10時間を切る)を達成しましたね。
山地:そう、9時間57分(※)。あん時は1km5分ぐらいのペースで入ってしまったんやけど、そんなに落ち過ぎずに、割と走りながらゴール出来たんよ。
※この年の公式記録は9:57:24。全体でも200位付近のゴールとなる、素晴らしいレースでした。
――何が良かったのでしょうか?
山地:二つあって、まず走り込み期間中(5月)に、初めて月間400kmに乗ったこと、もう一つが、翌6月を調整期間として、疲労を抜いたこと、かな。
――これまでの反省が活かされていますね。
山地:そうそう、それまでがめっちゃ悔しくてな。でも、走り込みをしっかりやって、大会前に一回リラックスして、それで大会に臨んだら、結果が出るって手ごたえがあってな。それを一度、体験してみたくて。
――鍛えて、休んで、いい状態で臨めたということですね。
山地:走り出すときに少しだけ疲労感はあったけど、レースの前半で上手く抜けてくれた感じ。あんなん初めてやったわ。
――トレーニングの中でも何か工夫をされたとか。
山地:こん時は、ジョギングとペース走を分けて考えたんよ。ウルトラの練習って、ほとんどジョギングなんやけど、時々はある程度のスピードを出して走ると、ジョギングのペースにすごい余裕が生まれるんよ。
――流れとしてはどんな感じでしたか?
山地:基本は土曜日にペース走を20~30Km、日曜はサロマのスタート時刻と同じ朝5時スタートで3~4時間ジョギング、という感じで、ペースと生活リズムを作っていく感じかな。平日は60~90分ぐらいジョギング、週1必ず休養を入れる、っていう感じかな。
――レースと同時刻のジョギングというのも、大事かもしれませんね。
山地:せやな~、朝って体動かへんから、何度か走っておくと、起きてから走り出すまでに、何をしておかなアカンかが、少しずつ分かってくるんよ。それはレースに活きてきたと思う。
故障が治ってから、割と早い段階で100kmマラソンに目覚め、「3度目の正直」でサブ10を達成した山地さん。実はここから、山地さんは再び大きな故障をしてしまい、人生で初めての「ブランク」を経験します。
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